写真家

写真家として 写真を語る

写真そのものの価値観を考えるときがあります。

 私は、写真というものは、「芸術」というカテゴリーに入るひとつの文化であり、歴史に残るものでありたいと思います。

 しかし、世の中では、「写真は芸術ではない」という認識も一般的で、「写真」は、「カメラが写すもの、カメラに写るもの」と考えられる場合が多いのです。ようするに、写真は、「誰が撮っても同じものが写る」あるいは、「そのままに写る、ただそれだけ」みたいな存在と考えられているわけです。

 「写真家」としての存在は、写真そのものの価値が認められて初めて存在します。その価値が、どういうものであれば認められるのかというと、「写真の中に、写真家としての思想がしっかりあること」が必要なのです。なぜ、その写真を撮ったのか、なぜ、その写真を創ったのか、はっきりとした意志がそこには存在する・・・それが、「写真家の撮る写真」であると思います。 

 その価値観を考えるとき、近い種類として比較されやすいのが、動画(ムービー)と静止画としての絵画、絵の世界になります。歴史の長さでは、動画の歴史が短いのは当然ですが、いわゆる「写真」というものが存在してからの時代も、「絵」に比べれば、ほんの最近の物に過ぎないと思います。

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鏡の魔法

自分の姿をチェックする方法。一番が、鏡を見るという行為です。

ほとんどの方は、日常の中で、何回も鏡を見ますね。そして自分をチェックしているわけです。その自分の目で見たもの、見えているものが視覚的映像として捉えられ記憶に残り、それが自分であると自己認識しているというわけです。

いわゆる、「自分の姿 イコール 鏡の中の姿」という方程式が成り立っているわけです。

問題は、写真の写る姿と、鏡の世界は似ているけど違うものであるということにあります。

具体的に言いますと、

その1 姿見の鏡は、細く映る鏡が多い(97%ほどに細く見える、足が長く見えるようになっている鏡が多い)

その2 顔のチェック時に、たとえば目を見る時はパッチリ目で自分の好きな眼にして見る、輪郭も、自分の好きな輪郭で見て納得する、というふうにチェックは、部分(パーツ)ごとに行われ、全体が同時には見えていないものである。(いいとこ取りの寄せ集めのイメージといえばわかりやすいかも)

その3 鏡は、右と左が逆である!これが決定的です。ようするに、証明写真などの正面から撮る写真は、普段鏡で見る自分と右左が逆のものであり、違和感が必ずあります。なぜなら、左右対称の顔の人は一人としていないからです。

その4 鏡は、動画である。鏡で見える世界は常に動いています。時間という概念が鏡を通して見える世界にはあります。写真は、瞬間です。時間を切り取るという作業です。説明は長くなりますが、これはかなり違います。

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フォトスタジオ・ユー

フォトスタジオ・ユーは、写真家阿部文一が、柏の街にオープンした、本格写真スタジオです。貸衣装も多数。専門の美容、着付けスタッフで、仕上がりのよさには定評があります。

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写真家 阿部文一として生きる

写真家として、自分自身が語りたいページをつくろう・・・。

そんな想いではじめます。

よろしくお願いします。

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