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修整について

まずはじめに、修整していない写真は何なのかを考えてください。

ただ、目の前の映像を、何のアクションも起こさず、撮影する。それが修整していない写真?

写真は、撮影した瞬間に出来上がるものではありません。そこから先に必ず加工する工程が発生します。たとえば、現像する作業、プリントする作業など。必ず何らかの作業が入ります。その工程作業には、様々な選択肢があり、決してひとつではありません。

作業においては、目的や、作業者の意図により、それぞれの,その都度その都度の経緯と結果が生まれます。

修整は、私にとって、写真技術の特殊なものではなく、写真を作るうえでの必要な手段、加工方法のひとつにすぎません。なぜなら、それは、必ず行う作業だから。

写真は、同じものを撮っても、写し方しだいで、全く違うものとなります。

被写体を、いったいどういう風に撮るか、その追求を常に行いながら、最終的写真を創ること、それが写真家には重要です。被写体を選ぶ、作る、撮影後にも、さらなるイメージを高め、写真を作り上げる。その繰り返しを、業務として営むこと、それが写真家としての基本です。

修整という言葉。

プロフェッショナルなフォトグラファーの、条件として、わかりやすく説明できる言葉に,修整できるという言葉があり、便宜的に使用しています。ただ、否定するわけではありませんが、ある意味、当たり前の行為であり、特別なものではありません。そう私は思っています。

ただし、その作業の中身については、奥が深く、技法と、手段は、写真家によって全く違います。私は私なりの経験と、判断で作業を行っています。

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